Five Score
第1章
出会いと始まり


 春のうららかな日差しの中、一人の男がある建物を目指して歩いていた。
「確かこの辺だったよねぇ。」
誰に問いかけるわけでもなく、手渡された地図を見ながらそう言った。
彼の名前は安岡優、24歳。まだ少年のような顔立ちで、背はさほど高くはないが、その目は何か決意を感じさせる光をたたえていた。
先ほどから地図を眺めながら目指しているのは、新宿署。そこがこの春から彼の職場となるところである。

そして一方、その新宿署の一角にある資料課。
「ったく、何でこんなに暇なんだよ。」
窓際に座っていた男が伸びをしながらそう呟いた。
「それだけ平和だって事なんですから、いいんじゃないですか?」
思ったよりも大きな声だったらしく、パソコンに向かっている痩せた男が、画面から目を離すことなくそう答えた。
「そうそう。そんなしょっちゅう大事件なんて起きてもらっちゃ、たまったものじゃないですぞ。」
部屋の隅で雑誌をめくっていた男が、それに同意するように頷いた。

 「独り言にいちいちつっこむなよ。」
二人にそう言いながら、村上てつやは立ち上がって窓の外を眺めた。
村上は現在28歳。この資料課の係長である。皆からは横文字がかっこいいという本人たっての希望で、リーダーと呼ばれ(せ)ている。
 パソコンでの作業を終えた北山陽一は、ずれた眼鏡を指で押し上げながら、軽く伸びをした。
北山は25歳、細身の体型で眼鏡をかけているので、刑事としては頼りなさそうに見えるが、スポーツマンで運動能力は高い方である。
「そういや黒沢のやつまだ来てないのか?」
 未だ雑誌から目を離そうとしない酒井雄二に向かって、村上は訪ねた。
酒井は27歳、この資料課に来て1年になる。背は高く、長いドレッドヘアを後ろで一つに束ねていた。おおよそ刑事とは思えない髪型である。
「黒沢さんには、2時間ほど前に電話しましたが。」
時計を見ながら、酒井は答えると、村上は驚きの表情を浮かべた。
「はあっ?2時間?確か黒沢のとこからは二駅しかないはずだろう。」
「まあ、そうなんですけどね。」
「どうせまた、乗り過ごしてたりするんじゃないですか?あの人のことだから。」
そう北山に言われると村上はため息をついた。
「ったくあいつはぁ・・・。」
そう黒沢は遅刻の常習犯なのである。理由はと言うと、つり広告に見とれていただとか、家に忘れ物をしただとか言うものばかりで、それが彼が天然と言われるゆえんである。

この資料課は、その名の通り、あらゆる事件の資料を管理するところである。原則として、過去20年間の資料が保管されている。資料のすべてはコンピュータで管理されており、資料を請求されればすぐに対応できるようになっている。
この春、珍しく新人が入ってくると言うことで彼らはいつもより早く来ていた(黒沢をのぞく)。
「それより、そろそろ来る時間じゃないですか?うちに来る新人の。」
壁に掛けられていた時計を見ながら、北山は村上に問いかけた。
「ああ、署長のとこに9時頃挨拶に行くって聞いたからな。そろそろ来るんじゃないか。」
「でも新人が来るなんて、珍しいですな。いったいどんなやつが来るんだ?北山。」
「何で僕に聞くんですかねぇ。」
そう言いながらパソコンに向かうと画面にデータを表示させた。
「名前は安岡優、24歳。前任先は・・・警視庁捜査一課。」
「警視庁!?」
村上と酒井は同時に驚きの声を上げると、顔を見合わせた。
「いったいどんなヤツなんだよ。」
と村上が、画面を覗き見ようとしたそのとき、部屋をノックする音が聞こえた。3人が振り向くと、一人の小柄で金髪の少年が部屋に入ってくるところであった。

村上は怪訝そうな表情を浮かべながら、その少年に声をかけた。
「オイオイ、ここは子供の来るところじゃねーよ。」
「ち、違いますっ、僕は・・・。」
「おっと遅れてすまない。急な電話が入ってな。」
少年が言いかけるのと同時に、署長である小林が、部屋に入ってきた。
「署長!?じゃあこいつが・・・。」
「今日からこちらに配属になりました、安岡優です。」
そう言うと安岡は敬礼をした。
「彼がここのリーダーである村上君だ。」
署長は村上を指し示しながら紹介した。
「さっきは子供なんて言って悪かった。村上です、よろしく。」
そう言って安岡と握手を交わした。
「あーっと、酒井です。」
「北山です。」
村上に続いて、二人も握手を交わしつつ挨拶をした。
「わからないことがあったら、彼らに聞くように。じゃあ、よろしく頼むよ。」
そう言うと署長は部屋から出て行った。

署長が部屋から遠ざかるのを確かめると、村上は安岡の肩をつかんでグイと引き寄せた。
「で、おまえは何をやらかしたんだ?」
長身の村上から見下ろされるとかなりの迫力があるはずだが、安岡は怯えることもなく
「何をやらかしたかって、どういう意味ですか?」と尋ねた。
「そりゃここにいるヤツは皆、訳ありだからな。」
と村上は言いながら、ほかの二人を眺めやった。二人は顔を見合わせながら苦笑している。
「ま、話したくなきゃ、無理に聞こうとは思わないけどな。」
そう言うと、つかんでいた手を離し、ニッと笑って見せた。安岡はさらに追求されるかと思ったので、拍子抜けをした。
「新人といえどもここの噂くらいは知ってるだろ?」
「ええ、まあ・・・。」
資料課には行ったものは、半年も持たないと言うのが、もっぱらの噂である。その噂はかなり有名なようで「資料課への移動が決まったとき、あいつも運が悪いよなぁ・・・。」と周りには言われたものだ。
しかし、噂は所詮噂である。周りにどう言われようが、安岡は気にしないことにした。
「ここにはいつ辞めてもおかしくないような連中が送り込まれてくるんだよ。」
「ああ、それで・・・。」
皆あんな風に僕のことを見てたんだ、とここまでの道すがら同情と好奇心の入り交じった表情でこちらを見ていた連中のことを思い出した。
「ま、しばらくはみんなの噂になるだろうが、そのうち収まるさ。まあ、よろしくな。」
「はい、よろしくお願いします。」
こうして、安岡の資料課での生活が始まることとなった。


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