第1章 その男天然につき 「さてと、改めて自己紹介を、と言いたいところだが、まだ来てないヤツがいるんだな、これが。」 と村上が言い終わらないうちに廊下をどたどたと走る音が聞こえてきて、扉が勢いよく開いた。 「良かった、間にあったぁ。」と言いながら入ってきたのは黒沢であった。 「何が良かった、だ。全然間に合ってねーだろっ。」 「え?うそ?ちゃんとこの時計9時指してるじゃん。」と時計を確かめている。 それを横からのぞき込んだ村上は、がっくりと肩を落とした。 「時計、止まってるじゃねーか・・・。」 「黒沢さん、見せてください。」 北山は黒沢の手を取り、時計を確かめた。確かに時計の針は9時を指していたが、秒針は動いておらず時計としての機能を果たしていなかった。 「確かに止まってますね、時計。気が付かなかったんですか。」 「おかしいなぁ、朝は動いてたのに・・・。」 「じゃあ、途中で止まったんでしょうな。しかし、俺が電話したのは2時間以上も前なんですが。」 そんな3人のやりとりを聞いていた安岡は笑いながら言った。 「あはは、黒沢さんて面白い人ですねぇ。」 「何言ってんだ、いつもこんなんじゃこっちが疲れるっつーの。」 そう言いながら、村上はふと黒沢のもう一方の手に目をやった。風呂敷に包まれた箱のような物を持っている。いやな予感がしながらも黒沢に尋ねた。 「で、どうして遅くなったんだ?」 「そうそう、これこれ。作ってたら遅くなっちゃってさぁ・・・。」 黒沢は持っていたものを机の上に置くと風呂敷を広げた。包まれていたのは3段重ねの重箱であった。どうやら村上の予感は当たったようである。 「今日、新人が来るって言ってたから、おいしいものでも食べさせてやろうと思って。」 そう言いながら黒沢は弁当のふたを取った。そこには色とりどりのおかずが入っている。 「えーっと、中身はねぇ・・・。」 「あー、もう分かった分かった。いいからそれはしまっとけ。」 村上は黒沢が話を続けようとするのをあわてて制した。そのまま放っておけば、話が長引くのは目に見えている。普段はぽやーっとしているのだが、料理の話となると止まらないのである。 「それより、新人に挨拶しろよ。いったいどのくらい待たせてると思ってんだ?まったく・・・。」 「あ、そうだったぁ。」と黒沢は弁当にふたをして、もう一度風呂敷に包んだ。そして安岡の方を向くと「黒沢薫です、よろしくね。」と笑いかけた。 「安岡優です、よろしくお願いします。」 そう言って、改めて黒沢を眺めた。『優しそうな人だなぁ。』と言うのが安岡の黒沢に対する印象だった。背も自分と同じくらいである。会ったばかりだが、親近感を覚えた。 「で、さっき見たようにこいつの特技は料理だ。ま、刑事が料理得意でもどうなるわけでもないがな。」 「別にいいじゃんか。そんなこと言っていつも俺の料理をうまいって言って食べてるのは、誰なんだよ。」 と黒沢は村上を睨みつけた。 「うっ・・・。」 本当のことなので、村上は何も言えなかった。誰からも恐れられる村上をこんな風に黙らせることが出来るのは、黒沢だけである。安岡は後で知ることになるのだが、この二人は高校時代からの親友である。 そんな二人の様子を、くすくすと笑いながら見ていた北山だが、安岡の方に体を向けると改めて自己紹介した。 「北山陽一です。分からないことがあったら、何でも聞いてくださいね。」 「それじゃ次は俺。酒井雄二です。特技は猫を手なずけることかな。」 と酒井は得意げに胸を張った。そこにすかさず村上が「それのどこが役に立つんだよ。」とつっこんだ。 「何を言うか!だいたいリーダーはですなぁ・・・。」 と突っかかるのを無視して村上は、「そして俺が村上だ。」と安岡に言った。 うまくかわされた酒井は、ムッとしながらそっぽを向いた。そんな酒井を北山は「まあまあ・・・。」と言ってなだめた。その隣で黒沢は、おろおろしている。 そんなみんなの様子を見ながら、「いいんですか?」と村上に聞いた。 「ああ、いいのいいの、いつものことだからな。」 そう言われると安岡は「はあ・・・。」としか言いようがない。 「まあ、俺のことはリーダーとでも呼んでくれ。」 と、安岡の肩をポンポンとたたいた。 「んじゃ、ここでの仕事について、簡単に説明するぞ。」 村上はホワイトボードの前に立つと、仕事の内容を書き出した。 資料の整理・準備、他の課の手伝い、その他雑用 「これがうちのだいたいの仕事だ。」 ホワイトボードをこんこんとたたきながら、話を続けた。 「いつもの仕事は事件に関する書類等の管理だ。また他の課から手伝いを要請されることもある。まあ、ていのいい雑用係だな。だが、俺たちがちゃんと資料を管理しているからこそ、あいつらが事件に専念できるんだ。」 だから卑屈になることはない、と付け加えてみんなを見渡した。 「とまあ、これが俺たちの仕事だな。少しずつ覚えていってくれ。」 そう安岡に言ってから、今度は北山に声をかけた。 「ところで一課に頼まれていた書類は用意できたか?」 「ええ、朝一で揃えておきましたよ。」 北山は自分の机の上に置いてあった書類を村上に差し出した。村上はそれを受け取ると、そのまま安岡に手渡した。 「じゃあ、早速これを一課に持っていってくれ。俺もついてってやるから。」 そう言うと村上は部屋のドアに向かってすたすたと歩き出した。 「えっ、あ・・・。」 とまどっている安岡の隣で、酒井は慌てて村上を呼び止めた。 「ちょっと、何でリーダーがついて行くんです?」 「いいだろ、どうせ暇なんだし。ほら安岡、早く来い。」とドアを開きながら、安岡に手招きをしている。 「あっ、はい。すぐ行きます。」 そう言うと、急いで村上を追いかけた。 「あ、行ってらっしゃーい。」 黒沢はのんきにそう言うと、手をひらひらさせている。 「早く戻ってきてくださいね。」 半ば呆れつつも、北山はそう付け加えた。 「じゃあ、後はよろしく。」 村上は安岡が外に出たのを確認すると、そう言って扉を閉めて出て行ってしまった。 「全くもうっ。何で二人して止めないんだ。」 酒井はドアを指さしながら、二人に問いかけた。 「無駄だって、酒井も分かってるだろ。言い出したら聞かないんだからてつは。」 「そうやって黒沢さんが甘やかすからいけないんですっ。」 酒井は憤慨しながら言った。 「そんなこと言われたって、俺は村上の親じゃねーもん。腹ばっか立ててたら、禿げるよぉ。」 黒沢は自分の頭を指しながら、のんびりとそう言った。 「イヤなこと言わんでください!!」 一応は気にしているらしく、ため息をつきながらそう言った。 「とりあえず、こっちはこっちで仕事しましょうね。」 そう言うと北山は、再びパソコンに向かった。 酒井はあきらめたように首を振ると、自分の机に戻ると、今まで読んでいた雑誌をしまい、最近の事件資料を読み始めた。 黒沢はと言うと、持ってきたお弁当を部屋にある冷蔵庫に収めた。 新人が来たという以外は、いつもの朝であった。 |