第1章 事件の終わり 偶然の逮捕劇から一夜あけて、資料室。 「普通自分の靴、自分で踏むか?」 村上はすっかり呆れかえっていた。 「いいじゃんか、犯人捕まったんだし。なあ、北山。」 「はぁ、それはそうですが。」 詳しい事情を知らない北山はそう答えるしかない。 「何言ってんだよ、あれから大変だったんだぜ?」 気を失ったまま目が覚めない鹿嶋を病院まで連れて行き、ついでに異常がないかを検査を行った。 黒沢のまともな直撃を食らって倒れたので、念のためという事であった。 鹿嶋が目覚めるのを待って、事情聴取も行われた。 その間に黒沢も出会ったときの状況などを色々と聞かれ、二人が自分の家に戻ったのは、真夜中過ぎであった。 「で、結局原因は何だったんです?」 行きずりではなく顔見知りの犯行だったと言う事で、最初から殺人の意志があったかどうかが焦点となった。 あの朝、二人が出会ったのは偶然だった。半年前から姿を見せなくなった鹿嶋を心配していた高山の方から声をかけたそうだ。 しばらくはふつうに話していたのだが、些細な事で口論となり、もみ合ううちに鹿嶋が高山を振り払ったという事であった。 いつも気にかけていてくれた事に感謝しており、殺すつもりはなかったと鹿嶋は語っている。 「高山に言われた事につい、かっとなったらしいな。」 「『所詮不良には無理か。』と言われてつい・・・。」 そう言って鹿嶋はうなだれた。 「だからって、暴力をふるっていいわけじゃないだろう。」 葉山は鹿嶋を見据えながらそう言った。 「すみません・・・。」 「一応は反省しているようだし、とりあえずはこれからの事を考えるんだな。おい、連れて行け。」 部下に鹿嶋を預け、彼らが出て行くのを見届けると、残っていた村上に声をかけた。 「こんな時間までつきあわせて、悪かったな。」 「何言ってんだ、これが俺たちの仕事だろ。・・・じゃあ俺はもう帰るからな。」 葉山に背を向けると、そのまま村上は部屋を出て行った。 一人残された葉山は昔の事を思い出していた。 「あれから3年・・・か。」 「とにかくこれで事件解決ですね。」 急に黙り込んで物思いにふけっている村上を横目に、北山は作業の続きを始めた。 「(ぼそっ)急に黙っちゃいましたね、村上さん。」 「(こそっ)うーむ、また葉山さんと何かあったのでは?」 「そんなの本人に聞けばいいじゃん。おーい、村上ぃ。」 「く、黒沢さんっ?」 「直球ですな。さすが・・・。」 驚いている酒井と安岡を尻目に黒沢は村上の隣に座った。 「どうしたの?また葉山と何かあった?」 「ん?別にそんなんじゃねーよ。お前に付き合わされて夜遅かったからな。」 「なんだよぉ。俺のせいなの?」 「お前なぁ・・・。」 楽しそうに話している二人を見て、北山はやれやれと溜息をついた。 「わりーけど、ちょっと煙草吸ってくるわ。」 村上は煙草とライターをポケットにつっこむと、立ち上がった。 「ああ、いってらっしゃーい。」 黒沢はにっこり微笑むと手を振った。 「すぐ戻ってくるから。」 そう言って村上は部屋を出ていった。 「煙草くらい、ここで吸えばいいじゃないですか?」 疑問を持った安岡は尋ねてみた。 「あ、俺煙草の煙ってだめなんだよね。昔から喘息持ちでさ。」 「あれ、そうなんですか?黒沢さん。」 「そう、だから気を利かせたんだよ。ああ見えても良いヤツなんだよ、ホントは。」 「ぷっ。ああ見えても、なんてそんなこと言ったら、村上さんに怒られますよ。」 酒井も北山も笑っている。それにつられて安岡も笑い出した。 ただ一人、黒沢だけは不思議そうな顔で首を傾げた。 「俺、なんか変なこと言ったかなぁ・・・。」 そのころ、屋上に一人居た村上はくしゃみをしていた。 「っへっくしょん!・・・またあいつら人の悪口でも言ってやがるな。」 そこからは新宿の町が一望できる。とはいえ周りには高層ビルがいくつも建ち並び、全てを見渡せるわけではなかったが。 吐き出した煙の先に都庁が見える。その上空にはいかにも降り出しそうな雲が広がっていた。 「こりゃ、一雨来そうだな。降り出す前に戻るか。」 村上は煙草の火を灰皿でもみ消すと、煙草とライターを胸ポケットにしまい込んで資料課に向かった。 「おい、村上!」 資料課へ向かう途中、廊下を歩いていると不意に聞き慣れた声に呼び止められた。振り向くと、そこに立っていたのは四課の近藤警部であった。 四課は暴力団専門の部署である。そのためほとんどの刑事達は、その筋の人間と間違われるほどの強面ばかり。その中でも近藤は『鬼の近藤』と呼ばれるほどで、普通の人間ならば見ただけで逃げ出すと言われるほどの強面である。しかし、その姿とは裏腹に義理人情に厚い仁義の人であった。村上も一課の時代から何かと世話になっている。 「近藤警部、お久しぶりです。お元気そうで何よりですね。」 「お前こそ元気そうだ。ところでお前の所に新人が入ったそうだな。珍しいこともあるもんだ。」 「ええ、小さくて生きのいいのが来ましたよ。警視庁から来た変わり種です。」 「はははっ、それもそうだ。警視庁からとはな。」 近藤は豪快に笑った。笑うと目がなくなるその顔からは、皆から恐れられる近藤とは思えない。 「俺も是非会ってみたかったんだが、昨日は出ばっててなぁ。」 最近は、暴力団の起こした事件に民間人が巻き込まれることも多く、四課の人間はよく管轄外の場所にも呼び出されることも多かった。昨日も渋谷署との合同捜査が終わったばかりであった。 「今度機会があったら紹介してくれよ。で、誰と組ませたんだ?」 「北山ですよ。あいつは指導者向きだ、俺とは違って。」 「ははは。ま、確かにお前は人を教えるのには向かないかもな。で、当の本人は元気なのか?あれ以来余り顔を合わせることがないんでな、気になってたんだ。」 近藤は急にまじめな顔になって村上に尋ねた。北山とはある事件に関わった事から何度か顔を合わせていたので、その後の様子が気になっていたのだ。しかもその事件がきっかけで資料課に行くこととなった為、なおさらだった。 「ええ、元気ですよ。相変わらず論理的なんで、口では到底かないませんよ。」 口にこそ出さないが、北山のことは一目おいている。資料課にはもったいないと思ってはいるが、そうも言えない事情もある。 「そうか、それなら良いんだが・・・。」 「近藤さん!ここにいらっしゃったんですか?課長がお呼びです。」 少し向こうの四課の部屋から、若い刑事が顔を出して近藤を呼んでいる。 「ああ分かった、すぐに行く。」 片手を上げてその刑事に向かって手を振った。 「課長からの呼び出しだそうだ。悪かったな呼び止めて。」 「いえ、大丈夫ですよ。暇ですから。」 「そんなこと言ったら北山になんか言われるんじゃないか?」 近藤は笑いながら言った。そんな近藤に思わず村上も苦笑する。 「じゃあ、失礼します。」 村上は近藤に向かって頭を下げると、資料課へと歩き出した。 そんな村上の後ろ姿を見送りながら、そっと呟いた。 「俺はお前の方も気になるんだがな・・・。」 村上が部屋に入るとすぐに北山が声をかけてきた。 「煙草吸いに行っただけの割には、遅くないですか?」 「ああ、悪い。途中で四課の近藤さんに会ってな。お前のこと、心配してたぜ?」 「近藤さん・・・?ああ、あの顔の怖い人ですか?」 「怖い?ははっ、それはまあそうなんだけどさ。」 「心配しなくても大丈夫と伝えてください。」 「ああ、だから元気だって言っといたぜ。」 北山の肩をぽんとたたくと村上は自分の席に着いた。 『そんなに心配されるほど、取り乱してたのかな、あのときの僕。』 北山は思わず苦笑してしまった。そんな北山の様子が気になったのか、安岡は近寄ってくると、心配そうに顔をのぞき込んだ。 「北山さん、どうかした?」 「ああ、大丈夫だよ。それよりも仕事の続き続き。」 さあ、と安岡を促して自分もまた作業に取りかかった。 納得がいかない様子だったが、諦めたように自分の席に向かった安岡であった。 それぞれの思いとそれぞれの過去。その裏に隠されたものを彼らは後に知る事になる。 |