第1章 仕事始め さっさと歩き出した村上に追いついた安岡であったが、どう話しかけようかと迷っていた。 村上はといえば、葉山達と分かれてから、ずっと押し黙ったままである。なおも黙って歩いていたが、沈黙を破ったのは安岡である。 「あ、あのー村上さん?」 「リーダーでいいよ。で、何?」 「じゃあ、リーダーその、葉山さんと、何かあったんですか?さっきの二人の雰囲気が気になって・・・。」 「・・・あいつとは同期でな、昔はコンビ組んでやってたんだ。まあその時に色々あって、な。」 「そうなんですか・・・。」 それ以上聞けるような雰囲気ではないことを感じ取って、黙ってしまった安岡に対して、村上は微笑みかけた。 「あんまり気にするな。・・・俺達の問題だからな。」 そんな村上の様子に安堵を覚えた安岡は、それ以上聞こうとはしなかった。いつかは話してくれるときが来るかもしれないと思いながら・・・。 「それにしても、リーダー達は遅いですな。書類持って行くだけで、どれだけ時間かかるんだか。」 酒井はふと時計を眺めながらそう呟いた。北山も同じように時計を見て「そうですね。」と言った。 「また、葉山さんと何かあったんじゃないですか?」 「あの二人は名物みたいなもんだしなぁ。」 「喧嘩するほど仲がいいって言うんだから、大丈夫なんじゃないのぉ。」 「いや、黒沢さん、それはちょっと違うんじゃ・・・。」 そんな会話を3人で繰り広げているとき、出ていた二人が戻ってきた。村上の表情から、どうやら自分の考えに間違いがなかったことを北山は読み取った。ここで何を言っても逆効果だろうと考えて、そのことはあえて口にはしなかった。他の二人も同じ考えなのだろう。1年も一緒にいると、その人なりも分かってくるものである。 「悪かったな、遅くなって。色んな人に会っちまってな。」 あの後も何人かの知り合いに会い、そのたびに安岡を紹介していたので遅くなってしまったのだ。資料課に異動した後も村上に対する評価が変わっていない証拠でもあった。 「そういや、まだ安岡を誰と組ませるか、言ってなかったな。おい、北山。」 「はい、何でしょう?」 「おまえ、今日から安岡と組め。これでお前も晴れて先輩だな。」 にやり、と笑いかけると安岡の方を向いて声をかけた。 「向こうじゃどうだったか知らないが、ここでは一番下だからな。北山にしっかり教わってくれ。」 村上はそう言って自分の席に着くと、新聞を読み始めた。 「北山さん、よろしくお願いします。」 「はい、よろしく。じゃあとりあえずこれ、読んでおいてね。」 北山は山のように積み重なった書類を指さして、にっこりと微笑んだ。 「えっ・・・と、これ、全部ですか?」 顔を引きつらせながら安岡は北山に尋ねた。 「もちろん全部だよ。とりあえずは過去5年分のうちの館内で起きた事件の資料。どんな事件を扱っていたか、覚えておいてもらわないとね。いつ昔の資料が必要になるか分からないから。」 「まさかこれ、今日中という訳じゃありませんよね。」 「あはは、まさかそこまでは・・・。でも、しばらくはそれ読むくらいかな。今のところ、僕らが呼ばれるような事はないからね。あ、そこが君の席だから。」 「・・・わかりました。」 諦めたように溜息をつくと、書類の積まれているその席に着き、そのうち一つを手にとって読み始めた。過去5年分だけあって、かなりの量であった。とりあえず、最近のものから目を通すことにした。 村上は暇だと言っていたが、実際、一課は一つの事件を抱えていた。 二日前の早朝、新宿駅にて、傷害致死事件が発生した。ラッシュ時、肩が触れた触れないで二人の男が言い争いになり、最初にいちゃもんをつけた男が相手を殴り倒して逃走したのだ。 倒された男はすぐに病院に運ばれたが、二時間後に死亡した。 警察は傷害事件から傷害致死事件に切り替え、早急な犯人確保に乗り出した。 今日はその捜査会議が行われている。犯人は、未だ逃走中である。 しばらくは自分の作業に没頭していた彼らだが、不意に黒沢が声を発した。 「ねぇ、そろそろお昼にしない?俺、お腹空いちゃったよ。」 バサッ。 「うぁ、びっくりしたぁ。急になんだよ黒沢。」 新聞を読みながらいつの間にか居眠りをしていたらしい村上は、驚いて新聞を落としてしまった。 「静かだと思ったら、寝てたんですかリーダー。」 呆れながら北山は村上の方に振り向いた。しかし、悪びれる様子もなく新聞を拾い上げた村上は黒沢に向かって「そう言えば。」と言った。 「おまえ、なんか弁当作って来てたんだっけ。それ、全員分あるのか?」 「当たり前じゃない、そんなの。ちゃんと5人分、作ってあるよ。」 黒沢はしまい込んでいた弁当を取り出して、それを広げた。 1段目にはおむすび、2段目には煮物や卵焼き、サラダなどが入っている。そして3段目には様々なフルーツが並んでいた。 これを見た安岡は感嘆の声を上げた。 「すごいですねこれ。全部黒沢さんが作ったんですか?」 「そだよ。もうね、朝5時に起きて作ったんだよぉ。」 「だからって、遅刻は良くねぇだろ・・・。」 村上は呆れるようにそう呟いたが、黒沢と言えばそんな事はお構いなしに、皆に説明をしている。 「とにかく、味は保証付きだから。」 「ま、とりあえず頂きましょう。」 そんなこんなで、五人で男の作った料理を食べ始めた。 「なんで男5人、こんなとこで男のつくった料理食ってんだろ・・・。」 村上は何とも情けない気持ちになってしまった。しかし、安岡はと言うと、とても嬉しそうに食べている。 「なんか嬉しそうだな〜。ちゃんと飯食ってんのかよ?」 「え?これでも家で作ってますよ。ただここまでは作れませんけど。」 「あ、そうなの?じゃあまだマシじゃない。村上なんて、作る場所すらないんだから。」 黒沢の言葉に他の二人もうなずいている。 「おい、おまえ等、俺の部屋見た事あんのかよ。」 「見なくても、分かるような気がしますよねぇ。」 「黒沢さんが言うんだから間違いないでしょうな。」 酒井と北山はそれぞれそう答えると再び食事に専念し始めた。 「お前等なぁ・・・。」 言いたい事言いやがってと溜息をついて、安岡の方を見た。やはり嬉しそうに食べている様子に何となく違和感を覚えたが、自分の取り分が無くなってしまっては大変と再び食べ始めた。 一方、捜査一課では捜査会議が行われていた。 「ということで、引き続き聞き込みをしてくれ。では解散!」 各捜査員は三々五々部屋を出て行った。 葉山は椅子に腰掛けると、深く溜息をついた。 「嫌な世の中になったものだな。たかが肩が触れたというだけで、殺人事件に発展するとは。」 「今の若い子は物の豊かな時代に育って、何でも手に入るものね。何か大切な物を忘れてる気がするわ。」 「まったくだな。」 葉山は椅子から立ち上がると真里に向かって声をかけた。 「これから昼でも、食べに行くか?」 「そうね。じゃあご一緒しましょうか。」 二人は昼食を取るため、近所の食堂へと向かった。その後はまた、他の捜査員とともに捜査を再開した。 こうして、この日一日は何事もなく過ぎていったのである。 |